過去の取り扱い作品

小野 竹喬(おの ちっきょう)

 画歴

明治22
岡山県笠岡市生まれ
36
竹内栖鳳の画塾に入る
44
京都市立絵画専門学校別科を卒業
大正 7

国画創作協会結成
(土田麦僊、野長瀬晩花、村上華岳、榊原紫峰らとともに)
昭和3
国画創作協会展解散
22

日本芸術院会員となる
京都市立美術専門学校の教授となる
33
社団法人日展の常務理事となる
43
文化功労者の表彰を受ける
44
京都市美術館で「小野竹喬回顧展」開催
51

「奥の細道句抄絵展」開催
文化勲章受章
54
90歳にて逝去





2010年「生誕120年 小野竹喬展」より

竹喬は1903年に京都の竹内栖鳳に入門。

西洋近代絵画の写実表現をとりいれた栖鳳の制作に学びながら、
自らも西洋絵画のエッセンスを貪欲にとりくみ、<写実>に取り組む。

技法だけはなく、自然の真実をつかむかという問題を求め、東洋の南画や、
同時代の画家たちの作品にも学びながら、次第に画風を変化させていった。

1918年、竹喬は土田麦僊らとともに国画創作協会を立ち上げる。
しかし、やがて日本画材で写実を追及することに困難を覚えるようになり、解散。
以後、約1年のヨーロッパ旅行をはさみ、竹喬は東洋絵画における
“線の表現”を再認識することになり、線描と淡彩による南画風の表現へと変化
していった。


1939年頃から竹喬の画風は日本画の素材を素直に活かそうとする変化が現れ、
大和絵の表現を手本とし、線も色も古い大和絵に学ぼうとした。

この転換はその後の竹喬作品の方向性を決定づける。
それ以降、竹喬はおおらかで単純な形と温雅な色彩を特徴とする表現を
深め、「風景の中にある香りのようなもの」をとらえようと無心の境地で自然と
向き合うことで、ゆるぎない独自の世界を確立していった。


江戸時代の俳人、松尾芭蕉の『おくのほそ道』をもとに、
その句意を絵にしようとした10点からなる《奥の細道句抄絵》は竹喬晩年の代表作。

「風景の中にある香りのようなもの」(画家のことば)を画面にとらえようと、
さりげない自然の表情に眼を向け続けた。

取扱い作家一覧へ

トップへ

2012 Hyougen Co.,Ltd. All right reserved.